ロジカルシンキングの本を斜め読みしました

タイトルの通り今回のテーマは言論の自由についてです(?)

最近ツイッターを見てて、同年代のこいつやべえなあって思う投稿が増えてきました。これが大学を卒業して社会で働くということなんでしょうか。なので今回は例を挙げながら自意識が強い人間が自意識が弱いツイートを見たらどうなるのかを述べる、ただそれだけの回になります。

 

で、例というのは香港のデモについてのもので、

「日本語のニュースはあてにならないから、原語のニュースを読もう」っていう日本語でのツイートで、とても多くのいいねを集めていて怖さを感じました。

ここからは不快な思いをする人もいるような文章になります。

 

あえて言うなら僕は最初それを見て「誰も誰もが中国語わかると思うなよ!」っていうのとその中国語がわからない劣等感から「このツイートもこれに心から賛同している人も気持ちが悪いな」と一瞬思ってしまいました。

 

ツイート自体の論理構成はとてもシンプルで、

① 香港のデモについて、日本語のニュースと中国語のニュースがある

② 日本語のニュースはあてにならない

③ ①、②より、(ツイートが日本語で書かれているので)日本人は日本語よりも中国語で香港のデモについてのニュースを読むべきである。

になると思います。内容自体は「まあそれはそうだよね」って話です。

ちゃんと大学とかでロジカルシンキングをやってないとこういう頭の悪そうな分析・書き方になってしまうので、万一これを読んでいる方がいるなら注意してください、ついでに訂正もしてくれると嬉しいです。

これの問題は、このツイートを読む人間に対してどれくらい効力があるのだろうか、という点についてで、

どう考えても日本語の話者の中で中国語(その中でもさらに香港の方言に当たるのかな?)を解する人間はそう多くはありません。就活脳だとこの文章からフェルミ推定を始めるべきなのですが、今回は「多くない」というところに止めておきましょう。

で、このツイートが効力を発揮するのは、「中国語を解する日本語の話者の中でさらにツイッターをやっている人」かつ「香港のニュースに対して関心を持たないか、日本語でニュースを見ている人」になります。

、、、そんな数いなくね?

中国語わかる人って普通中国に関心を寄せていると思うし、となれば「中国語ができる」人間でも文章が読めるレベルにある人なら香港のニュースも現地の情報も中国語で調べる程度のことはしそうだなって思うんですよね。

つまるところ、このツイートはそもそも大多数に対して意味のない、あるいは効力が薄いものだと思います。そしてその大多数の中に自分も含まれており、「こいつは誰にそれを言ってるの?」「そんなこと言われても無理」という気持ちがこのツイートに嫌悪感を抱いた一番の原因なのかなと分析しました。

繰り返すと論理や内容自体は別に間違い無いし、自分も賛成です。そしてこれを読んで行動に移す人もいるでしょう。それはとても素晴らしいことだと思えます。ただし一方で、自分が最初にこのツイートを見るときはまず「自分」を中心に考える以上、自分が知りえない知識を有していることを前提にした不特定多数への提案というのはとても嫌なもので、プライドが高い人間であればあるほど劣等感にさらされて嫌な気持ちになるし、向こうがそのつもりではなくてもマウンティングを取られている感覚になります。

で、ここまでだと自分がプライドクソ高いやつで話が終わってしまってやっぱり嫌なので、少し続けます。

ここからさらに穿った見方をすると、きっと僕みたいに思う人間は多分それなりの数がいるのかなって思います。まあツイッターやってる人間なんて大概プライドか承認欲求が高そうだし。そう考えると非常に怖いですよね。だって自分の何気ない発言がふとした拍子に僕みたいなのに見つけられて知らない間にヘイトを溜めているってことですから(ここで書きながら怖くなってツイートをまた一つ削除しました笑)。更に言ってしまえばこの場合誰が悪いとかありませんからね、強いて言うならツイッター社の「◯◯さんがいいねしました」ってやつを載せないように設定させて欲しいというくらいですし、その機能もモノによっては自分に新しい発見をさせてくれるものでもあるし。

だとしたら、多分僕自身がふと感じた「このツイート気持ち悪い」って感情は、自分を含めて誰のせいでもないからこそ、この記事みたいに他人を論理立てて過度に責めようとすべきではなく、単純に「ツイッターはこういうものだ」という距離感を常に意識しておくことが大切なのかなと思いました。その上でそれでも自分がこう思うのは発信すべきだ、というのであったり、あとは単純に自分が面白いと思ったことであればツイートしようっていうスタンスが一番なのかな。

飽きてきたので、不特定多数に拡散するリスクのあるSNSであればこそ、まあとにもかくにも自分の投稿を見るかもしれない他人を意識する・しないはともかく認知する、理解するのは大事なんだなあっていう締めくくりで久しぶりの記事を終えたいと思います。